こんにちはマコトです。
先日、理容師の国家試験を受けてきました。
実はコロナ渦の去年の4月に名古屋理容美容専門学校に入学してまして・・・
この8/3水曜日に実技の国家試験でした。
実技の試験はこの髪形を25分で作ります。
7:3分けの横から後ろを刈り上げです。
美容師さんはハサミをあまり使わずバリカンを使いますが
ハサミで刈り上げをすると仕上がりが柔らかいです。
生徒さんの3/2は美容師さんで残りが現役の学生さんです。
家業が理容店でそのお店を継ぐために免許を取りに来ている方や、
美容師をやめてBARBERがしたいという方もいました。
僕は5年ほど前からバーバースタイルが好きでいずれは
そういったアメリカやドイツのイメージのBARBERをしたいと思っていました。
おしゃれというより、カッコいいという方に惹かれていきました。
そして、将来を見据えたときに選択肢が多いほうがいいなと思いました。
もう何年も前から、ご指名をいただいているお客様しか担当していなくて新しいお客様に入客することがなくなり
以前の記事にも書いたとおり、若いスタイリストがぐんぐん伸びてきておりまして
その子たちに担当が変わっていったのもあります(うれしいことです)
男性美容師の宿命・・・・・
それは、顧客の減少です。
需要が若い時に比べるとなくなってくるんです。
ここ何年か実感しています。
女性美容師さんは年配の方でもいらっしゃいますが、そういえば年配の男性美容師はあまり見かけないですよね。
オーナーであったり管理職であったり・・・・・
需要があるうちはいいですが自分も年をとればお客様も年をとるわけで・・・・・
今でも、ご新規のお客様で店長がいいといわれる方も見えますが、年に数えるぐらいです。
そんな中で【男性理容師】さんは、年配の方でも大勢いらっしゃいます。
これからの僕のニーズは男性のお客様になってくるでしょう・・・・・・・
そんな時に美容師の得意なメンズスタイル・理容師の得意なメンズスタイルが作れたら・・・
なので理容師免許に合格したら、実際に学校の先生のお店に行って技術を習いに行く予定です。
スキンフェードや特殊パーマなどのメニュー展開と、そもそも顔そりをしたかったので
そちらも、やっていきたいと思います。
そして、9/4日曜日に学科試験がありまして、合格発表が10月上旬になります。
まだまだ気は抜けないですね。
国家試験前日の模様はこちらからどうぞ!!
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https://youtu.be/AteHdYO2D4o
前回からのつづき
リサコも順調にお客様からの指名をいただけるようになり、僕の担当のお客様もリサコちゃんがデビューしたら
リサコちゃん指名でおねがいしますという方もみえて、ほんとに感無量です。
自分が人のことに一生懸命になることは、今までの人生の中でほんとになくて・・・・
どちらかというと、人に助けてもらったりしていたことのほうが多かったです。
いままで、先輩やオーナーにしてもらったことを、今度は自分が次世代に返していく・・・・
また、ミズキ先生やリサコには新しいスタッフにそうやって返していってほしいものです。
僕の今の仕事のやりがいは人を育てること
カシアのような小さな美容室は、僕自身の考えや大切にしていることが浸透させやすいし、スタッフとの距離感も近いので、普通に家族のような感じです。
実際、家族や兄弟といる時間よりも、スタッフといる時間のほうが長いですから、顔色や表情、挨拶の声でその時のコンディションがわかります。
コンディションが悪い時は、こちらから今日もしかして元気ない?と声をかける時もあります。
そうすると頭が痛いとかお腹が痛いとか・・・
まっ、そこらへんは男ではわかりかねるところなので、しんどかったらシャンプーやスパは代るから言ってねと・・
自分が体調が悪い時は、ほかのスタッフ同士が知っておけば、お互い助け合いもできますし体調が悪いということを、みんなが認識しておけば、体調悪い人もわかってくれてるから気が楽ですよね。
なので、カシアでは体調が悪い場合は自己申告制でやっております。
そして僕がサロンで大切にしていることは、自分の担当以外のミズキ先生やリサコのお客様に挨拶に行くことです。
うちのミズキ先生をよろしくおねがいいたします。
うちのリサコを育ててあげてくださいという気持ちで挨拶に回ります。
これはどれだけ自分が忙しくても心がけております。
オーナーや先輩から教わることより、お客様から教わることのほうが重要で、僕がどれだけ口酸っぱく接客するときは元気で笑顔でハキハキ聞き取りやすい声量でといったとしても、お客さんから直接、元気もないし笑顔もないし、声が小さくて聞き取りずらいと言われたほうがよっぽど心に刻まれます。
最終評価はお客様が決めるので、僕はそこに行くまでのことしか伝えられないし、スタイリストデビューするということはお客様との1対1の真剣勝負
美容師の仕事は結果がその日のうちにわかるから、それぐらいの緊張感をもって望まなければ生き残れないです。
以前、友達のMOTOが言ってたことを思い出しました。
彼はエレベーターの溶接の仕事をしているのですが、自分の作ったエレベーターを使っている場面や直接、お客様が喜んでいる姿や、そのエレベーターが役に立っているのが見えない・・・・・
でも、美容師さんて目の前にいるお客さんが喜んでいる姿が見れるからいいよねと・・・・
そうなんです喜んでいる姿も見れるし、逆にがっかりの姿も見れるから・・・・
お客様が喜んで、この人にまた切ってもらいたいと思ってもらうにはテクニックだけではなく、人間性です。
テクニックはできて当たり前・・・
カシアで人間性を養うのは掃除です。
掃除ができない人は、気が付かない、問題を先送りにする、人に流されやすい。
そして気が付いててもごみが拾えない、きれいにできない人は・・・・・やがてぜんぜん気づけない人に変化します。
カシアでは年4回、大掃除、小掃除をします。
普段できないところの掃除や床のワックスなどを含めて、カシアをピカピカに磨きあげます。
これをするようになり、みんながいろんなことに、よく気付くようになりました。
ミズキ先生7年目、リサコ5年目になった時に
そろそろ新しいスタッフ入れて、カシアに変化を出したいと思っていた時に
以前までいたスタッフのロッカーが物置状態になっていて、いつ人が入ってきてもいいようにと掃除して片づけたらその日にチエが面接希望の電話をかけてきました。
これにはみんなでびっくりしました。
こんなことあるんや!
やっぱり掃除って大事やよな!とみんなで再確認しました。
チエが面接に来たときは、カシア全員で輪になって面接をしました。
チエからしたらなんで?って感じでしたでしょうけど
僕より、女性スタッフのほうが一緒に働くスタッフに対してシビアですから
みんなで面接しました。
チエは早くスタイリストになりたい気持ちが強く、目的意識もはっきりしていたので
即採用でした。
僕は新スタッフが入ると一緒にカラーを塗ったり、パーマを巻いたりしながらお客様に紹介をします。
紹介をすると、お客様も親しみをもって新しいスタッフに接してくれるし覚えてくれるのも早いです。
その時にチエの出身や好きな事、ちょっと自慢できることを小話で話すのですが、実はチエ・・・・
パーマ巻きのコンテスト(20分以内にどれだけきれいに巻けるかを競う)があるのですが
どうやら三重県チャンピオンだったらしいです。
そして最近まで知らなかったのですが・・・・東海大会(愛知岐阜三重)で優勝して全国大会にも出場してたみたいです。
そして、これもつい一週間前に聞いたのですが・・・・全国大会で3位!
すごいやん!
チエは何か目に見えない力が使えるのか?
呼ぶ力があるんです。
歴代のスタイリストは1年から1年半かけてカットモデル100人を達成しますが、チエはカットモデルをスタートして約3ヶ月で達成してしまいました。
これにはほんとに驚きました。
2021年11月にデビュー
カシアの記録をどんどん塗り替えていっております。
最後に・・・・・・・
カシアってこんな感じのお店です。
人生、山あり谷あり・・・・・でもそれがおもしろいですよねっ!
全6話、長らくお付き合いいただきましてありがとうございました。
これからもカシアのお嬢様たちをよろしくおねがいいたします。
マコト
前回からのつづき
カリフォルニアから帰ってきて、BAUHAUS(工務店)のTANIWAKEさんと写真を見ながら、この部材はアメリカのものを取り寄せてやりましょう!とか、壁材は日本の気候に合わせて作ってある日本の壁材を使いましょう!など、いろいろ話を詰めていくうちに楽しくなってきました。
カシアオープン当初から家族ぐるみでお付き合いさせていただいております、TAKASEさんが
そのころ同時期に独立開業されて、伊勢にオウチノワークスを立ち上げました。
照明器具、ハウスパーツ、DIY部材などを扱うお店で、カシアの照明器具はすべてオウチノワークスさんのものです。
細部までこだわり、おなかいっぱいのお店が出来上がりました!
無事、2017年2月3日に新店舗オープンをしてミズキ先生もスタイリストデビューしましてカシア史上最高売上を記録したのも、この年でした。
このころから徐々に、自分自身が燃え尽き症候群的な・・・・・
新店舗もオープンして、これから頑張らないといけないのに・・・・・
なんかテンションが上がらない
自分のやりたい理想のサロンも作り、スタッフも順調に育って、さぁこれからどんどんカシアを盛り上げていかなきゃいけないのに・・・・
なぜか虚無感・・・・
なぜならカシアを立ち上げて、最終ゴールを新店舗に設定していたからです。
満たされてしまった・・・35年もローンランナーしないといけないのに・・その先がなかった(汗)
そんな感じだから、自分指名のお客様も離れていきました・・・
そうこうしているうちに、2018年にMIYAKOが独立、CHIHOが出産と家業を継ぐために美容師を離れることに・・・・
残ったスタッフがミズキ先生だけになりました。
そして、母親のガンが発覚と・・・・・見つかった時には手遅れ・・・・
自分では気づいていなかったですけど、周りからしたらそう見えたのか
ずいぶん落ち込んでいた様子だったらしいです。
そして母親が2018年7月に64歳で亡くなりました。
こんなに早く親と別れると思っていなかったので、しばらくの間まだ実はどっかで生きてんじゃないの?
というぐらいでした。
余命半年と言われたのですが治療が合ったのか亡くなるまで1年半の猶予がありましたので家族全員、その間に覚悟はできていきました。
スタッフがいなくなりお店も大変・・・・毎日があっという間に過ぎて行って
その時は、がむしゃらに仕事仕事で悲しんだ記憶があまりないんです。
1日8人限定の予約枠でしたが、ミズキ先生もお客様に入客して、ハルナもエステやスパに入るとなると
自分一人で8人のお客様をお迎えからシャンプーしてカットしてお見送りして、その間に洗い物や洗濯物もたまってくるから、雑用もして・・・
デビューしたてのスタイリストみたいな感じで楽しかったですけどね。
今までも人がいなくなっても何とかやってきたし!
そしてカシアには、まだミズキ先生がいる!
全くゼロじゃない!
そこからリスタートしました。
でも、一人休むと店が回らない状態って・・・・・・・
そんな時に、リサコが面接に来てくれました。
リサコのお母さんが、さみっとくらぶのスタッフ募集を見てくれてリサコに奨めてくれたみたいです。
最初、面接に来た時にリサコは話だけ聞きに来たという感じで来たらしいのですが僕がいつから来れる?
といって半ば強引にカシアに引っ張りました。
リサコも入ってきた当初はミズキ先生と一緒で声も小さいし、こちらから話かけないと、ぜんぜんしゃべらない。
仕事は、そつなく(要領よく・手落ちがない)こなすタイプで一つ頼み事したら、2つ3つ先までやってくれる。
でも、少し冷めてる印象でした。
時間が経てばカシアにも、なじむだろうと思いましたが、どこか遠慮(間借りで働いてる感じ)してるところが抜けない・・・・自分を出さない・・・・
以前は県内のトップサロンで勤めていたらしく、そこで体調を崩して人間関係にも疲れて志摩市に戻ってきたらしく・・・・
大阪から逃げるように帰ってきた自分とまた、重なりました。
そんな感じだから、あまり深入りせず(スタッフ同士とも距離を置き)仕事は仕事と割り切っているように最初は
思いました。
そこで、カシアの仲間意識を高めるために、カシアのYouTubeチャンネルの開設と同時にカメラマン・動画編集・出演(自分をさらけ出す練習)などを任せてみました。
カメラマンは遠慮してたら、いいものが撮れないし編集するときに、この場面いるから寄りで撮ったり引きで撮ったりと演者との距離感が近くないといけないので、よく気が付くリサコには打ってつけだなと思い無理やりカメラマンをしてもらいました。
そして出演するときはハルナとミズキ先生にも出演してもらいスタッフ同士の距離感をだんだんと縮めていきました。
リサコは、カットのコンテストにも出場していたこともあり、教えたことの吸収が早く、もうスタイリストデビューさせてもいいのかなというレベルでしたが、カシアではモデルカット100人達成しないと、デビューできません。
そこは先輩スタイリストも通った道なのでリサコだけ特別扱いはできません。
1年弱かけてコツコツ100人のモデルカットをして2020年11月にスタイリストデビューしました。
最近では昨年を大きく上回る売れっ子スタイリストになり、最近やっと自分を出すようになってきました。
そして自分はというと、新しいスタッフが加わることにより、自分のテクニックの見直しや、客観的に自分を見ることができるようになりました。
ちょっと間、満たされてぬるま湯につかっていた状態でしたが、スタッフが入ったことにより新しい風が入り・・・・・緊張感もでてきました。
そして、これからも
いろんな問題や壁が立ちはだかりますがコツコツ乗り越えて、また安堵したぐらいに
問題や壁が立ちはだかるでしょうね
次どんなミッションが来るのか?今はワクワクしていますよ。
前回からのつづき
2013年、なんでもできる大きな土地を見つけて、あとは銀行の融資がおりるか?
というところまで来たときに決算書(カシアの通知表みたいなもの)が最低でも3期分ないと融資がおりないというか、それ以前の問題で話もしてもらえずに5分ほどで門前払いのような対応をされました。
仕方ないよな……….(汗)
カシアはまだ生まれたばかりで、世間一般的には信用もないし体力もない。
そんな世間知らずの状態で銀行に行っていた自分が恥ずかしくなりました。
その旨を志摩地所(当時の不動産屋)の社長に伝えたら・・・・・・
銀行に話をつけに行ってくれました。
志摩地所の社長は長い付き合いで実家の土地も、弟の家の土地も社長から購入してました。
そんな経緯でわざわざ銀行に行って
これからの若いもんに融資せんとお前ら誰に融資するんや!
って怒鳴り込んでいったらしいです。
そんな厳つい社長も3年前に亡くなって・・・本当に感謝してます。
あの時、銀行で話をつけてくれなかったら今のカシアはありません。
そして、銀行側がその事情を考慮して銀行独自がリスクをとって融資をするプロパーローンを組むことになりました。
まずは土地購入費用を融資してもらい、建物を建てる時にまたローンを組みなおすという条件で融資がおりました。
さぁこれで、場所は決まりました!
あとは僕のこだわりや、カシアのコンセプトをより体感できるお店づくりをイメージしながら・・・
旧カシアはテナントで水回りはここ、トイレはここというように場所が決まっていて、その条件の中でシャンプー台はここ、セット面はここというように当てはめていけばよかったのですが・・・
好きなように、どんな感じにでも配置できるとなると、これが思っていたより難しいんですよね(汗)
自分の思うように後悔のないようにしようと思えば思うほど、悩む、迷う、煮え切らない・・・・
外観をどういう感じにするのかも決めかねていて、ハワイ、カリフォルニア、メキシコ辺りのイメージではいたのですが・・・・
ハワイ風とか、カリフォルニア風とか、メキシコ風とか?
どんなんなん?
ハワイは2回ほど行ったことがありましたが、カリフォルニアとメキシコは行ったことがない・・・
想像の世界・・・・・
友達のMOTOが言うには、なになに風とかは風であって本物じゃない!と言っていたよな?
じゃぁ、カリフォルニアとメキシコまで本物を見に行こうということになりました。
2016年9月、カシアから5分の賢島で世界の各国の首脳が集まる伊勢志摩サミットが開催されました。
その当時はサミット前から物々しい雰囲気で全国各地から警察官の精鋭部隊みたいな方たちが来て
物陰になりそうな木々は全て伐採されて、陸は警察官、海は海上保安庁で埋め尽くされていました。
サミット会場まで一直線の場所に旧カシアがありましたので、サミット期間中は営業どころじゃないのは
容易に想像できました。
なので、サミット期間中に渡米することにしました。
初めてのアメリカ本土。
しかも、初一人海外。
JFK空港に到着して現地の日本人コーディネーターの人にピックアップしてもらうまでは、
日常会話ぐらいの英語は、できましたがドキドキでしたね。
そこから4日間、カリフォルニアの雰囲気を感じながらいろんな建物を見て回りました。
オレンジカウンティーという所にアンティークモールがあり、そこでお店に飾る雑貨や小物を見て回ったり
サンディエゴからメキシコに入国して【ホテルカリフォルニア】の雰囲気の建物も色々見て回りました。
そして明日、日本に帰るというタイミングでサンディエゴのUCLAの近くに僕のイメージにぴったりの建物がありました!
この家の写真だけで100枚以上は撮影してました。
そしてアメリカからLINEで(BAUHAUS)工務店に写真を送ってイメージを共有してもらいました。
カリフォルニア風ではなく
本物のカリフォルニアを志摩に作る準備が整った瞬間でした。
続く・・・
前回からのつづき
【眠れる美容室カシア】のコンセプトの芯が入り再スタートしたカシアですが・・・・
スタッフも、そろい順調順調と思えていたのですが、僕のふがいなさが原因でスタッフを一つにまとめることができずにスタッフが辞めていくことが続きました。
なぜなら僕がスタッフにたいして気を使いすぎて注意や指導ができなかったからです。
勤めてた時の自分と変わっていない(人を育てるのがわからない)平たく言うとまだ指導者になれていなかったのです。
気持ちだけが前のめりでぜんぜん、うまくいかなかった。
その時に自分を育ててくれた先輩やオーナーの気持ちがやっとわかりました。
自分のお店なのにお店に行きたくない日が続きました。
でも、止まるわけにはいかないから少しづつでも前進前進の気持ちで自分を奮い起こして
自分の理想のお店をイメージしながら、頑張っておりました。
一人抜け、一人入ってきて、また一人抜けて・・・・
そんな時でも、ありがたいことに新しくスタッフは途切れることなく入ってきてくれて
その都度いろいろな人間の勉強をさせてもらいました。
そうしているうちに、なんとなく辞めるというスタッフがいなくなり
結婚、子育てが理由で、仕事を離れるスタッフが多くなってきました。
この時に将来は子育てしながら、自分のペースで仕事ができる職場ではなく・・・・場所が必要だと思いました。
そしてめでたいことと同時に、今は順調にリクルーティングできているけどスタッフが全員いなくなったら
セット面がいっぱいあるような大きな、お店なんかいらないよなぁと思いました。
男の子を雇うにしても、いつかは自分のように将来お店を持つだろうし、女の子にしても結婚して子供ができれば
カシアを離れる日がやってくるだろうし・・・・・・
僕たち夫婦には子供もいないから順当にいけば、僕の代でカシアは終了
それであれば、後悔のないように自分がやりたいようにできるお腹いっぱいのお店を作りたいと思うようになってきたのもこの頃です。
そんな時です。ミズキ先生が雇ってくださいとやってきました(カシアでは売り上げが大台にのったら名前の下に先生が付きます)
ミズキ先生は僕が育ったシゲルに勤めていたのですが、諸事情により退社することになったらしくカシアで働きたいということでやってきました。
ミズキ先生は今もスリムですが、その当時は病的な細さで、この子大丈夫かな?美容師やっていけるのかなと思いました。
シゲルでの話を聞くと夜遅くまでミーティングや練習があり疲れ果てて、ご飯も食べずに寝てしまうことが多く
毎朝レッドブルだけ飲んで仕事に行っていたらしく・・・・
そんなミズキ先生を見たときに、大阪時代の自分と重なりました。
自分がシゲルカットクラブに拾ってもらったように今度はミズキ先生をカシアで育てようと思いました。
まず、大型店で働いていた人に良くありがちですが忙しくて、ごはんが食べれない問題(これは僕から言わすと段取りが悪いか、キャパオーバーの予約をお店が取っている)
そこからミズキ先生を、まず太らせて体力をつけることから始めました。
美容の仕事は体力が必要です。
まずは増量させるために、ロッカーの中にお菓子を入れて忙しい時でもちゃんと食べているか確認。
食べていないと僕に注意される徹底ぶりのおかげで、はま寿司にいって僕と張り合えるぐらいにまで食べれるように成長しました。
増量も成功して体力も付いたところでやっとカットテクニックを教えていきました。
ハサミの持ち方からコームの持ち方、使い方まで事細かく教えていたのですが、
ひとつ疑問が・・・・・・
この子なんて不器用なんだろう・・・・・
ちゃんと教えても、次の日には自己流になっているし
返事はしっかりするけど、ぜんぜん理解できていない(汗)
こりゃ参ったな(汗)
以前いたスタッフのMIYAKOを筆頭にHIRONOBU、MAIMI、CHIHOは
一回、教えたらほぼほぼ、できる感じだったのでどうしたらいいのか?
全くわからない(汗)
そんな時に、大阪や!大阪時代の自分と一緒や
まず、美容の仕事がそもそも面白くないんじゃないのかな?
まずはそこからやな!
そして取り組んだのが、ミズキ先生を指名してくれるお客様を作ろうと思いました。
カットはまだ無理だけど、ヘッドスパやシャンプーであれば指名がもらえるから、カシアのシャンプーとスパを徹底的に教えました。
PS 実はスタイリストになっても、いまだに抜き打ちでシャンプー・ヘッドスパのチェックを全スタッフにします。そこでふざけたシャンプーをしようもんなら始末書を書かせる勢いです。
そうやってコツコツやっていくうちに、一人、二人とミズキ先生を指名してくれるお客様が増えてきて、スタイリストデビューしたらミズキちゃんでおねがいします!という僕のお客様も多数出てきました。
いやぁ、正直ほんとにうれしかったです。
その日は、行きつけのキッチンやどかりでメガハイボール6杯飲んでたらしいです(やどかり店主が言ってました)
そのころかな?
僕も人のために一生懸命になれることに気づいたのは
そしてその頃からミズキ先生も変わってきました(笑)
いぜんは顔色もよくなく体調もわるそう・・・声も小さく覇気がない・・・朝はテンション低めで挨拶の声も小さい
それが今は、後輩も2人いる先輩スタイリストって!
あの頃のことを思うと、すぐやめてくんだろうなぁと思ってましたが、わからないものですよね。
その時に気づきました。
【働きやすさより、働きがい】
福利厚生や給料、休みが多くても【働きがい】がなければ仕事って面白くないですよね。
ただ生きていくだけなら美容師じゃなくても、なんでも仕事はありますから
人の役に立つ、人に必要とされる
どんな仕事でもそこがなければ、ただの労働でしかない
ただ、美容師の場合お客様に必要とされるには?
お悩み事や、お困りごとを解消しなければ、お客様の役にはたてませんから
僕自身もまだまだ修行中です。
技術職の人に終わりはないです。
そして、2,011年に旧カシアをオープンしてから5年が経ち
もっとカシアのこだわりやコンセプトに合うサロンを一から作りたいと思い
なんでもできる大きな土地探しから始まりました!
その時は突然やってきました!
ハルナが宇田ミートの横に大きな土地あるよ!
ああ、あるなぁぐらいに思っていたのですが見に行ったら気に入ってしまって・・・
当時よく行っていた、居酒屋志季のおかみさんに、あそこの土地って誰の持ち物かわかる?
って聞いてみたら、たまたま、おかみさんの連れ合いの人の持ち物でした。
そこからとんとん拍子に話が進んでいきまして、
今のカシアに移転する運びになりました。
続く
前回からのつづき
そしてプライベートでの事件が起こりました。
親が作った借金が見つかりカシアをオープンしたばかりで売り上げもない、貯金もない状態でギリギリの感じの時にお金が必要になりました。
バイクを売ったり嫁さんに借りて何とか、お金を工面して返したのですがあの時は、ほんとに辛かったです。
それから半年ほど、嫁さんの貯金を崩してもらいながら食べさせてもらっておりました。
情けないったらありゃしない!
あの時のことを思い出すとほんとに、しんどくなります。
嫁さんには今でも頭が上がりません。
でも、やるしかない!という覚悟ができて高かったプライドも脱ぎ捨てて寝食を忘れて働きました。
今では考えられないですけど夜の10:00からストレート・カラー・トリートメントのフルコースでも、やって欲しいというお客様がいたら予約を受けておりました。
毎晩、家に帰ると日付が変わってました。
独立してからも大阪時代のアシスタントのようなスケジュール
そんな感じだから当然、体を壊しました。
朝起きて鏡を見たら顔の色が紫色になっていた時は死ぬかもと思いましたが予約のお客様がいらっしゃったので
そのまま仕事に行って昼過ぎまで働いていました。
さすがに1日、仕事は大変だと思い夕方に病院に行ったら帯状疱疹ということが分かりました。
死ぬ病気じゃないと分かったので、次の日もその次の日もご予約のお客様がいたのでサロンに立ちました。
そしたら4日後に朝、起きれなくなり、その日は仕事をはじめて休みました。
体だけは頑丈だと思っていましたが無理をしてはいけないと思ったと同時に、自分がいなくてもお店が回るようにしないとダメだとも思いました。
20%オフキャンペーンが終わってからも、ありがたいことに毎日予約がいっぱいで、お断りしているお客様も多数いて、これはスタッフ入れないとダメだなと思い求人を出そうかなと思っているところに、テナントの大家さんの娘さんが昔、志摩市では老舗の美容室で店長をしていたらしく、土日だけ入ってくれることになり、
平日のスタッフも欲しいと考えていたら東京の有名店(横手さんのフェイズ)で働いていたKAZUEがスタッフ募集してないですか?と訪ねてきました。
KAZUEが入ってから、大きくカシアが動きだしました。
天然な性格で人懐っこい感じのKAZUEは、うちの嫁ハルナにシャンプーができるように指導してくれました。
ゴットハンド・ハルナの誕生です。
KAZUEはその後、東京に戻り原宿の美容室ガーランドで働いてます。
そこから3人態勢でサロンワークするようになり、気が付けばセット面3席しかないお店なのにスタッフが6人もいる時もありました。
そして席が足らなくなり1席、増築して計4席になり最初、嫁さんと二人で細々と、という話がどこえやら・・・
その後も順調にお客さんの数が増えて毎日、お昼ご飯もお手洗いもいけない状態でスタッフにも、しんどい思いをさせておりました。
そして急に訪れたカシアの転換期・・・・
ある経営系の勉強会に行ったときのことでした。
【小さな美容室が大きな美容室に勝つ法則】という、なんともカシアにぴったりな勉強会で内容としては
これから少子高齢化がどんどん進んでいるのに美容室は増え続けている現状、今までのやり方では生き残れないというリアルな勉強会でした。
カシアは小さな美容室なのに大きなお店のやり方をそのままやってきておりました(ダメだと分かりながら・・・)
オープンしてから2年がたっていたのですが、シゲルのときのくせが抜けない・・・
キャパオーバーしているのに予約を断らない・・・・
セット面も多くてスタッフも多いサロンなら、何とか回せるのでしょうが、物理的に無理なのに・・・・
また、予約を入れてしまう負の連鎖が始まっていました。
手を抜いてるわけでもないのですが、チャチャっとされた!
顔周りの白髪染めの跡が取れていない!
こんなシャンプーなら自分でしたほうがマシ!
予約したのに予約をした意味がないぐらい待たされた!
など、お客様から不満の声が出始めていました。
繁盛するのはいいことですが、やはり忙しいと良い仕事ができないのは、わかっていたのですが
スタッフを雇っていたので、そんな流暢なことは言ってられないのが現実でした。
そこから夜も眠れないぐらい考えて後悔のないように考えて、考えて、考えて、出した答えが
僕自身のお客様の予約を1日8人までに制限することでした。
いままでの半分・・・・大丈夫かな?
でも、考えて考え抜いた答えなのでまず、やってみました。
当初は不安で、しかたなかったのですが、お客様にちゃんと向き合って仕事をしたい!お客様にカシアでゆっくりしてもらいたい!という思いを一人一人のお客様に伝えていきました。
そうしていたら、こちらから強く勧めるわけでもなかったのですが、1日8人限定なんでしょ!と言って次回予約を取っていくお客様が増えたんです。
毎月、白髪染めはしないといけないからと半年分の予約を取っていかれる方や、年間予約を取っていく方も増えてきました。
そういった感じで予約が埋まっていくので、なかなか予約が取れない美容室と評判になっていた時もあるようです。
方向転換をしてからは・・・・・・・
お客様に対してカシアはこんな美容室ですよということを掲げました!
1日何十人ものお客様に対応したり、直前のご予約はお受けできませんが、ご来店頂くひとりひとりのお客様に対してマンツーマン対応(スタッフに任せるときもありますが、ここぞという所は必ず対応させていただいております)での安心感や、髪や頭皮にやさしいパーマ・白髪染め・月に一度の美容室でのんびり・ゆっくりと過ごす癒しの時間を提供することができます。
カシアの得意なメニューは全部で3つ
★眠れるヘッドスパが得意です
★頭皮頭髪・体に優しい白髪染め・ヘアカラーが得意です
★小顔・頭の形がきれいに見える・首が長く見える・スタイルがよく見えるカットが得意です。https://www.stepbonecut.jp/salonsite
カシアがお客様に約束すること
- コラボレーション
お客さまの髪の悩み、不満を聞いて解決策を導きだします。
- ジャストスタイル
お客さまの骨格、輪郭を見て似合う髪型を提案します。
- 時間、料金
必ず施術に入る前に、施術時間、料金の説明をします。
- 眠れる空間
お客様にゆっくりのんびりしていただけるようにセット面は半個室になっております。
- 頭皮・頭髪・身体に優しい薬剤を使用しています
白髪染めやパーマの薬剤は安心安全のものを厳選して使用しております。
【眠れる美容室カシア】の芯が、ばちっと通った瞬間でした。
続く
あらためまして、サカグチ マコトと申します。
美容室 カシアのオーナーです。
昭和52年 1月4日生まれ
A型
やぎ座
趣味は20年以上、サーフィン・カメラ・バイク・スケボー・ウェイトトレーニングをしています。
美容師あるあるですがサロンを一歩出ると、けっこう人見知りです。
仕事だから人見知りがなくなっているんでしょうね。
17歳まで浜島町で暮らしていて、高2の春に志摩市阿児町神明に引っ越してきました。
親父はフレンチのシェフで母親は4年前にがんで亡くなりました。
3人兄弟の長男で下に二人、弟がいます。
二番目は大工 三番目は消防士をしてます。
3兄弟ともに柔道をしてました。
僕は小学生から中学卒業まで6年間柔道をしておりました(一応、黒帯です)
小学校のときは肥満体で同級生によくからかわれておりましたが中学に入ると筋トレに目覚めて、みるみる体が変わっていきました。
中2のときによくいじめられていた、ひとつ上の先輩に呼び出されて小突かれているときに今まで我慢していたのが爆発!
殴り倒して階段の踊り場から、けり落して病院送りにしました。
のちに親と一緒に謝りに行ったけど(悪いと思ってないので一回も頭を下げることなく、親だけが平謝りしてたのを覚えてます)
自分も殴るのに慣れてなかったので右小指を圧迫骨折していて、
病院に行こうとしたら、親父に病院に行くぐらいなら最初から喧嘩なんかするなと言われ(結局、行きましたが汗)
手を骨折しないように人を殴るには?の研究をしておりました。
そんなときからどうしたら、うまくいったのかを研究するようになったような気がします。
高校に入って柔道部に一日体験に行ったときに部員が笑いながら練習しているのを見て緊張感なさすぎ!だめだこりゃと思い、
当時はやっていたスラムダンクの影響もありバスケットボール部に入部しました。
同時にヒップホップのダンスユニットのシモンズレボリューションのリーダーをしてました。
僕を含めて4人メンバーがいたのですが、その時の副リーダーがKENJIです。
高校のときは、ヤンキー全盛のころでしたが、吉田栄作のさらさらヘアーや柳葉敏郎のぎばちゃんヘアーをこよなく愛してました。
かっこいいなぁとは思ってましたが、リーゼントをしたいと思わなかった。
高3の進路を決める時に親父がフレンチのシェフなので自分は和食の板前になろうと思ってましたが、親父が調理師は、しんどいし休みもないからやめといたほうがいいよと言われ、そこまで調理師に本気でなりたいとも思っていなかったので高3の夏に美容師、たのしそ!
というぐらいのノリで美容室に就職しました。
高校を卒業して大阪に修業に出て(このころが今までの人生で一番のどろ沼時代でした)
5年間一日も欠かさずチーフに怒られていました。
素行が非常に悪かったんでしょうね(言うこと聞かないし)
一緒に入った同期とも犬猿の仲で、ほぼほぼ口もきかずバチバチ状態。
美容の仕事がぜんぜん面白くなかったし、早く終わらんかなと時計ばかり見てたのを覚えております。
ほんとに腐ってましたね。
他のサロンの同期はもうすぐスタイリストデビューするという話がちらほら聞こえているのに自分はまだシャンプーと雑用しかさせてもらえない状態が4年間続きました。
後輩からの追い上げがあったりしても焦ることなく、みんなが練習を頑張っているけど内心、早く終わらないかなぁと思ってたぐらいだから、そりゃそうなるよねというような感じで・・・・・
このまま、ここにいても前に進めないなと思い、
親に心配をかけたくなかったので我慢していたのですが、相談したらもう帰ってきたらと母親に言われて電話を切った後に大泣きしたのを覚えています。
大阪から、中途半端な状態で逃げるように志摩に帰ってきて、手荒れもひどかったのもあり美容師の仕事は
諦めようと思いましたが、美容師免許には合格していたので何かこの免許を活かした仕事はないかと思い、探していたら結婚式場のヘアメイクの仕事を見つけました。
伊勢の朝熊にあったチャペルローズガーデン(今は洋菓子ブランカの工場になっている場所)そこで花嫁さんや親族のヘアメイクをしながら、もともとカメラにも興味があったので写真も撮影させてもらってました。
いつかは海外で働いてみたいと思っていたので英語の勉強も、この頃から始めました。
泥の大阪時代のときに比べるとすごく自由(緩い)環境でのびのびとヘアセットの技術とメイクの技術を教えてもらいどんどん仕事が楽しくなってきました。
いま、カシアにフェイシャルエステで来ていただいている吉田先生がメイク担当で在席していたので僕のメイクの師匠です。
ヘアセット(洋装・和装)を教えてくれたのは現職の志摩市議会の金子議員のお母さんが美容師として在籍していたので教えてもらいました。
チャペルローズガーデン(現オランジェ五十鈴の森)は今は、なくなりましたがもともとは伊勢カラーという写真屋が経営しておりました。
当時は写真の現像技術の品評会で毎年金賞をとっていたのを記憶しております。
当時は、まだデジタルカメラでもなくフィルムカメラでしたので、現像技師の方に写真の現像・プリント・そして製本までの技術も教えてもらいました。
そしてヘアメイクの仕事もしながら、お店も一つ任せてもらうまでになりました。
そして4年ほど勤務していたある日、このまま美容師として中途半端な状態で終わるのが急に不安になり
気が付いたら中途採用してくれる美容室を探していました。
当時、伊勢市で飛ぶ鳥を落とす勢いのシゲルカットクラブが僕のこと拾ってくれることになり、そこから本当の意味での美容師人生が始まりました。
26歳でプライド高めの僕は周りになじめずにいたのですが、8歳年下の同期二人が救い上げてくれてうまいこと輪の中にいれてくれました。
それからシゲルを卒業するまでの8年間は本当に美容師の仕事が楽しくて楽しくて、しんどい時もありましたが仲間がいたので頑張れました。
それから同期の6人中4人がサロンオーナーとして独立していまだに、連絡を取っております。
シゲルカットクラブで美容師の楽しさを教えてもらい、34歳の2011年2月3日に中林皮膚科の並びのテナントにCASSIAをオープンしました。
オープンして一月後に東日本大震災があり、その時にテレビがあったほうが情報をしっかりとれると思い今のカシアにテレビをつけました。
当時は嫁さんと二人でスタートでした。
オープンキャンペーンとして全メニュー20%オフをしていたのですが連日お客様が大勢、来店してくれるのですが
これだけ頑張ったのに売上が・・・・・・
当時はカットもカラーも今の料金に比べると低料金でやっていたので売り上げが残らない・・・
その時に気づきました。
シゲルのようなスタッフも大勢いて、セット面も多いサロンの感覚で仕事をしていたら、ダメだと・・
一人の仕事は一人の仕事しかできないと、つくづく思いました。
そしてプライベートでの事件が起こりました。
続く・・・・
こんにちはマコトです。
暑い日が続いておりますね。
前回に引き続き、抜け毛の原因と予防のお話をしていきます。
一年のうちに抜け毛が多くなる期間があります。
4月5月6月・9月10月11月
1年の半分が抜け毛期間ということになります。
びっくりですよね。
そして、この期間のうちにあることが重なると、もっと抜け毛が増えます。
それは・・・・・・・
寝不足・食生活の乱れ・運動不足・ストレス・水分を取らない
特に気を付けてほしいのは運動不足と水分補給です。
髪の毛は血液中から栄養分を補給しています。
その血流が悪くなると、いままで潤沢に補給できていた栄養分がもらえません。
運動(筋肉を動かさないと)をしないと次第に筋肉は固くなります。
固くなると血管が圧迫されて血流が悪くなり全身の体のコリになります。
そして水分を取らないということは、血液がどろどろ(血流が悪い)の状態ですよね。
1日2リットルから3リットル程度の水分は必要です。
冷たいものより、最低でも常温のものをお勧めします。
人間の体は70%が水分で、できています。
そう考えるとおしっこで出ていく分も考えると、その量が必要なのはわかっていただけると思います。
寝不足とストレスに関しては、運動を行えば解消されます。
寝不足は副交感神経が優位にならないと解消されません。
ハードな運動が苦手という方はストレッチやヨガなどがお勧めです。
ストレス(緊張)の反対は、リラックスは(緩和)です。
ストレスを感じているときは、体が緊張状態(筋肉が固まっている)なのですが、このまま就寝しても
寝つきが悪く早くに目が覚めてしまったり、充分に眠れずに翌日、体がだるい疲れが取れていないなどの
弊害が起きます。
ストレスによる睡眠障害は、密接に関連しているのです。
なのでストレスをためない ➡ 体を動かして筋肉の緊張をなくすことが先決です。
そして食生活の乱れに関しては、何も考えずにお野菜メインの食事にしてみてください。
細かく見直す必要がある方はカロリー計算などをしながらするとよいでしょうが、
ダイエット指導もしている私の経験からしますと、ほぼほぼ長続きしません。
なので両掌一杯分のお野菜を食べる意識だけ持ってください。
塩辛いもの、甘いもの、脂っこいものを食べる前にお野菜でおなかを膨らませてください。
以上のことを守れたら、抜け毛どころか・・・・・
夜もぐっすり眠れて、お肌もきれいになって、ストレスフリーになります。
あっそれと、水分を取ると便秘が解消されますよ!
要約すると・・・・・
抜け毛が多くなる時期があり、そんなときに不摂生をしていると余計に抜け毛が増えますから
軽い運動とお野菜を食べることと、水分を取ることを意識してみてください。
次回は・・・・・
カシアスタッフのちょっと小話を載せます。
こんにちはマコトです。
最近、お客様から抜け毛が多くてという相談をよく受けます。
さらに頭皮も乾燥して、かゆいというお悩みもよく受けます。
皆さんは、頭皮にも化粧水があるのをご存じですか?
この暑い時期は、キャンプやレジャーに出かける方も多いと思いますが、お肌の
お手入れ同様に髪の毛、頭皮の紫外線対策と、ケアを心がけてもらいたいです。
早速、抜け毛の原因を紐解いていきますので、よろしくお願いいたします。
抜け毛の原因は、いろいろありますが代表的な原因に紫外線による影響があります。
髪の毛に覆われている頭皮は、日焼けしたり、乾燥したりしても目に見えないので
ケアを怠ることも多いですし、ケア自体どういったことをしたらいいのかもわからないですよね。
シンプルにお顔や手や足の皮膚と一緒なので、紫外線による日焼けや乾燥はその日のうちにケアをしてもらうのが鉄則です。
そこでおススメなのがカシアで一押しのリセットミスト!!(¥2620税込)
髪の毛、頭皮の化粧水になります。
お風呂上がりの髪の毛が濡れている状態で、まんべんなく頭皮全体に噴霧してもらい軽くマッサージをします。
それからドライヤーという流れで頭皮のケアは終わりです。
どうですか?簡単でしょ?
このお手入れをしていただくだけで抜け毛予防と頭皮の保湿ができます。
抜け毛と紫外線は切っても切れない関係で、紫外線の影響で頭皮が日焼けします。
そして日焼けするとお肌も頭皮も乾燥します。
その時にちゃんと保湿ができるかできないかで抜け毛の量がかなり減少します。
髪の毛を植物と見立ててお話をしていきますね。
乾燥した土壌からお花が育たないのと一緒で、乾燥した頭皮からは弱い髪の毛しか生えません。
紫外線で日焼けしてより頭皮が乾燥すれば、抜け毛は増えます。
しっかり保湿することと、そもそも日焼けさせない工夫が抜け毛を少なくしますので
頭皮、頭髪用のUVカットスプレーもおススメです。
カシア一押しの商品がこれになります。
紫外線が抜け毛の原因なら、髪の毛、頭皮をプロテクトすればいいだけの話なんですけど忘れがちなのが現実です。
そんな方は帽子をかぶってください。
一昔前の、夏の紫外線ではなくなっているのは、皆さんも感じていると思います。
だからと言って外に出ないわけにはいけないので、予防とケアの意識を高めましょう!!
PS 抜け毛の原因は紫外線だけではないので次回は食生活、生活習慣にフォーカスしていきます。