カシアのオーナー サカグチ マコトです①
あらためまして、サカグチ マコトと申します。
美容室 カシアのオーナーです。
昭和52年 1月4日生まれ
A型
やぎ座
趣味は20年以上、サーフィン・カメラ・バイク・スケボー・ウェイトトレーニングをしています。
美容師あるあるですがサロンを一歩出ると、けっこう人見知りです。
仕事だから人見知りがなくなっているんでしょうね。
17歳まで浜島町で暮らしていて、高2の春に志摩市阿児町神明に引っ越してきました。
親父はフレンチのシェフで母親は4年前にがんで亡くなりました。
3人兄弟の長男で下に二人、弟がいます。
二番目は大工 三番目は消防士をしてます。
3兄弟ともに柔道をしてました。
僕は小学生から中学卒業まで6年間柔道をしておりました(一応、黒帯です)
小学校のときは肥満体で同級生によくからかわれておりましたが中学に入ると筋トレに目覚めて、みるみる体が変わっていきました。
中2のときによくいじめられていた、ひとつ上の先輩に呼び出されて小突かれているときに今まで我慢していたのが爆発!
殴り倒して階段の踊り場から、けり落して病院送りにしました。
のちに親と一緒に謝りに行ったけど(悪いと思ってないので一回も頭を下げることなく、親だけが平謝りしてたのを覚えてます)
自分も殴るのに慣れてなかったので右小指を圧迫骨折していて、
病院に行こうとしたら、親父に病院に行くぐらいなら最初から喧嘩なんかするなと言われ(結局、行きましたが汗)
手を骨折しないように人を殴るには?の研究をしておりました。
そんなときからどうしたら、うまくいったのかを研究するようになったような気がします。
高校に入って柔道部に一日体験に行ったときに部員が笑いながら練習しているのを見て緊張感なさすぎ!だめだこりゃと思い、
当時はやっていたスラムダンクの影響もありバスケットボール部に入部しました。
同時にヒップホップのダンスユニットのシモンズレボリューションのリーダーをしてました。
僕を含めて4人メンバーがいたのですが、その時の副リーダーがKENJIです。
高校のときは、ヤンキー全盛のころでしたが、吉田栄作のさらさらヘアーや柳葉敏郎のぎばちゃんヘアーをこよなく愛してました。
かっこいいなぁとは思ってましたが、リーゼントをしたいと思わなかった。
高3の進路を決める時に親父がフレンチのシェフなので自分は和食の板前になろうと思ってましたが、親父が調理師は、しんどいし休みもないからやめといたほうがいいよと言われ、そこまで調理師に本気でなりたいとも思っていなかったので高3の夏に美容師、たのしそ!
というぐらいのノリで美容室に就職しました。
高校を卒業して大阪に修業に出て(このころが今までの人生で一番のどろ沼時代でした)
5年間一日も欠かさずチーフに怒られていました。
素行が非常に悪かったんでしょうね(言うこと聞かないし)
一緒に入った同期とも犬猿の仲で、ほぼほぼ口もきかずバチバチ状態。
美容の仕事がぜんぜん面白くなかったし、早く終わらんかなと時計ばかり見てたのを覚えております。
ほんとに腐ってましたね。
他のサロンの同期はもうすぐスタイリストデビューするという話がちらほら聞こえているのに自分はまだシャンプーと雑用しかさせてもらえない状態が4年間続きました。
後輩からの追い上げがあったりしても焦ることなく、みんなが練習を頑張っているけど内心、早く終わらないかなぁと思ってたぐらいだから、そりゃそうなるよねというような感じで・・・・・
このまま、ここにいても前に進めないなと思い、
親に心配をかけたくなかったので我慢していたのですが、相談したらもう帰ってきたらと母親に言われて電話を切った後に大泣きしたのを覚えています。
大阪から、中途半端な状態で逃げるように志摩に帰ってきて、手荒れもひどかったのもあり美容師の仕事は
諦めようと思いましたが、美容師免許には合格していたので何かこの免許を活かした仕事はないかと思い、探していたら結婚式場のヘアメイクの仕事を見つけました。
伊勢の朝熊にあったチャペルローズガーデン(今は洋菓子ブランカの工場になっている場所)そこで花嫁さんや親族のヘアメイクをしながら、もともとカメラにも興味があったので写真も撮影させてもらってました。
いつかは海外で働いてみたいと思っていたので英語の勉強も、この頃から始めました。
泥の大阪時代のときに比べるとすごく自由(緩い)環境でのびのびとヘアセットの技術とメイクの技術を教えてもらいどんどん仕事が楽しくなってきました。
いま、カシアにフェイシャルエステで来ていただいている吉田先生がメイク担当で在席していたので僕のメイクの師匠です。
ヘアセット(洋装・和装)を教えてくれたのは現職の志摩市議会の金子議員のお母さんが美容師として在籍していたので教えてもらいました。
チャペルローズガーデン(現オランジェ五十鈴の森)は今は、なくなりましたがもともとは伊勢カラーという写真屋が経営しておりました。
当時は写真の現像技術の品評会で毎年金賞をとっていたのを記憶しております。
当時は、まだデジタルカメラでもなくフィルムカメラでしたので、現像技師の方に写真の現像・プリント・そして製本までの技術も教えてもらいました。
そしてヘアメイクの仕事もしながら、お店も一つ任せてもらうまでになりました。
そして4年ほど勤務していたある日、このまま美容師として中途半端な状態で終わるのが急に不安になり
気が付いたら中途採用してくれる美容室を探していました。
当時、伊勢市で飛ぶ鳥を落とす勢いのシゲルカットクラブが僕のこと拾ってくれることになり、そこから本当の意味での美容師人生が始まりました。
26歳でプライド高めの僕は周りになじめずにいたのですが、8歳年下の同期二人が救い上げてくれてうまいこと輪の中にいれてくれました。
それからシゲルを卒業するまでの8年間は本当に美容師の仕事が楽しくて楽しくて、しんどい時もありましたが仲間がいたので頑張れました。
それから同期の6人中4人がサロンオーナーとして独立していまだに、連絡を取っております。
シゲルカットクラブで美容師の楽しさを教えてもらい、34歳の2011年2月3日に中林皮膚科の並びのテナントにCASSIAをオープンしました。
オープンして一月後に東日本大震災があり、その時にテレビがあったほうが情報をしっかりとれると思い今のカシアにテレビをつけました。
当時は嫁さんと二人でスタートでした。
オープンキャンペーンとして全メニュー20%オフをしていたのですが連日お客様が大勢、来店してくれるのですが
これだけ頑張ったのに売上が・・・・・・
当時はカットもカラーも今の料金に比べると低料金でやっていたので売り上げが残らない・・・
その時に気づきました。
シゲルのようなスタッフも大勢いて、セット面も多いサロンの感覚で仕事をしていたら、ダメだと・・
一人の仕事は一人の仕事しかできないと、つくづく思いました。
そしてプライベートでの事件が起こりました。
続く・・・・